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2014年7月 4日 (金)

フロム『愛するということ』メモ

 

エーリッヒ・フロム『愛するということ』、鈴木晶訳、紀伊國屋書店、1991年、初版。

 

成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である(40-41)

 

愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう(43)

 

成熟した人間は、いわば母親的良心と父親的良心を併せ持っている。母親的良心は言う、「おまえがどんな過ちや罪をおかしても、私の愛はなくならないし、おまえの人生と幸福にたいする私の願いもなくならない」。父親的良心は言う、「おまえは間違ったことをした、その責任を取らなければならない。何よりも、私に好かれたかったら、生き方を変えねばならない」。成熟した人間は、自分の外側にいる母親や父親からは自由になっており、自分の内部に母親像・父親像をつくりあげている(73)

 

愛とは、特定の人間に対する関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである(76)

 

助けが必要だからといって、その人が無力で、相手方に力があるというわけではない。無力さは一時的な状態であり、自分の足で立って歩く能力は、人類に共通の持続的な能力である(79)

 

自分自身を愛することと他人を愛することとは、不可分の関係にあるのだ(94)

 

自分自身の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち気づかい・尊重・責任・理解(知)に根ざしている。もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたら、その人はまったく愛することができないのである(96)

 

人間が自分で意味を与えないかぎり、人生には意味がない。人間は、他人を助けないかぎり、まったく孤独である(112)

 

愛するという技術に関していえば、こういうことになる――この技術に熟達したいと思ったら、まず、生活のあらゆる場面において規律と集中力と忍耐の修練を積まなければならない(165)

 

他人を「信じる」ということは、その人の根本的な態度や人格の核心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである(182-183)

 

愛に関していえば、重要なのは自分自身の愛にたいする信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことである(184)

 

他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである(184)

 

人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである(189-190)

 

 

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コメント

フロム先生のおっしゃることは、概念でだけでなくだいたい経験として知ってる。
本でも出そうかしら。

出たら即買いします。読む用と保存用の二冊買います。

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